さくさぽ

「障がいを知ってほしい」~カフェさくさぽ「ダイバーシティinさく 障がいってなんだろう?」

 「ダイバーシティinさく 障がいってなんだろう?~伝えたい、わたしたちのこと~」(佐久市市民活動サポートセンター(さくさぽ)主催)が11月27日、佐久市・野沢会館の会場とオンライン(Zoom)のハイブリット形式で開かれました。ゲストの障がい者自らが実体験にもとづき、社会に伝えたことや置かれた立場、生きる意味を語り、同市内外から参加した人たち計34人は障がいについて、ゲストとともに考え、理解を深めました。

野沢会館の会場

 視覚障がいのある土屋八千子さん(御代田町在住)は「知ってほしい障がいと障がい者のためのマーク」と題して発表しました。障がい者とは、「心身の機能の障がいがある人で、障がいや社会的障壁によって、暮らしにくく、生きにくい状態が続いている人」と表現し、社会的障壁は利用しにくい施設や設備、障がいのある人の存在を意識していない慣習や文化、偏見などを指していると話しました。

 ただ、障がいは他人事ではないと指摘し、こう述べました。病気や事故はいつ起こるかわかりません。障がいは多種多様、その程度も一律ではなく、しかも複数の障がいがある場合も、外見だけでは障がいがわからない場合もあり、社会的障壁や差別をしないようにしていくにはこうした心身の障がいを知っておくことが必要です。社会が変われば障がい者が趣味やスポーツなどすべての場面に参加できるようになります。

土屋さん(中央)は切々と訴えました

 そのためには、まずは各種施設や自動車、駐車場などにある「障がい者のためのマーク」を知ってほしいと土屋さんは訴えます。マークは、「障がい者」全般や「視覚障がい者」といった国際シンボルマークに加え、国内には「身体障がい者」「聴覚障害者」「耳マーク」(聞こえが不自由などこと表し、そうした人への配慮も表す)「ほじょ犬」(盲導犬、介助犬、聴導犬が同伴できる)「オストメイト用」(排泄機能の障がい者の設備があることを表す)「ハート・プラス」(身体内部に障がいがあることを表す)「ヘルプ」(周囲に配慮を必要としていることを知らせる)があり<障がい者に関係するマーク参照https://www8.cao.go.jp/shougai/mark/mark.html>、また地域ごとに「優先駐車場」や「パーキングパーミット(障がい者等用駐車場利用証)」のマーク<https://www.pref.nagano.lg.jp/chiiki-fukushi/parkingpermit/20151224.html>もあります。このほか、駅や公民館などの公共施設には複数のマークが印された多目的トイレがあったり、点字ブロックがあったりしますが、トイレのドアを閉める方法がわからずほかの人に開けられたり、段差を乗り越えるのに苦労したりしている実態もあると指摘しました。

 土屋さんの発表後、土屋さんの友人で、視覚障がいのある角谷美由紀さん(千曲市在住)が、会場で指示を受け的確に動く盲導犬イリ―とともに歩くデモンストレーションをみせてくれました。

土屋さんの後を、角谷さんとイリ―が歩きました

 次に、佐藤弘樹さん(佐久市在住)が「“心のバリアフリー”を目指して~脳性まひに生まれた、ある人間の軌跡と叫び~」と題して、ピアサポーター(障がいや病気の経験があり、それを活かして同じ境遇の仲間を支援する人)の上野美幸さん(同)に一部を代読してもらいながら、参加者らに語りかけました。

 佐藤さんは「障がいは脳性まひですが、こう見えても会社に勤めています」と自己紹介したうえで、まずは「脳性まひ」を正確に知ってほしいと話しました。佐藤さんによると、脳性まひは生後間もなく、何らかの原因で生じた脳の損傷が原因で起こる、運動と姿勢の障がいであり、佐藤さんの場合、血液と身体がうまくマッチングできず、脳に酸素が行かないことにより右脳の一部が損傷し、その結果、運動と言語に障がいが発生したと説明しました。

 しかし「脳性まひは病気ではありません。たとえば、視力が悪い、足腰が痛い、辛いものが苦手…。人によっていろんな悩みや不得意なこと、特徴があります。それと同じなんです」と強調しました。

 佐藤さんは、自身の生い立ちを振り返り、周りからどんな奇異な目で見られても、「同じ子どもです」と言ってくれた、強くて優しい母や、彼女のレコードを聴いて口パクをしているうちに声を出せるようになるきっかけをくれたアニソンの女王と言われる堀江美都子さん、学校にあまり行けなかったときに優しさや勇気を教えてくれるウルトラマン、という3つの存在が大きかったと話しました。

佐藤さん(中央)は力強く主張しました

 思春期には「死」を考えた時期もあったと言います。中学生から養護学校に寮生として寄宿することになり、家族と離れた寂しさや、自分の障がいに絶望し自殺未遂を引き起こしたそうです。普通高校に行けず、初恋の先生が転任してしまうという二重のショックで、寮から抜け出して死のうとしましたが、警察に保護されて寮に戻ったと言います。ただ、後日、その先生と仲良くなり、思いを込めて描いた先生の絵が県展で入選し、「先生の「ありがとう」のことばをもらい、胸がいっぱいになりました」と、佐藤さんは述べました。

 しかし、養護学校高等部に進学し、職場実習を経験しようとすると、障がい者というだけで受け入れ先がなかなか見つからず、「世間に吹く障がい者への冷たい風を思い知りました」と言います。

 22歳から、佐久市内の工場に勤め、現在、総務課で環境管理の仕事をしており、通信教育で環境管理士の資格も取得します。いろいろ職場を経験した佐藤さんは、仕事を教えてもらう際、「言っていることわかる?」という感じで、障がい者を見下しているような扱いを受けたと思うようになりました。「再び、世間に吹く障がい者への冷たい風を思い出しました」と苦い思いを吐露します。

 もうすぐ定年を迎えるという佐藤さんは、「私には、普通の人生が許されませんでした。生き方を選べませんでした。車の運転もできません。話をすると顔がゆがみます。いつも体に力が入っています。見た目で、人から避けられます。そして、恋愛ができません。母が私を愛してくれたように、私も誰かを愛したい」と胸中を打ち明けました。

 最後に佐藤さんはこう主張しました。「私の身体は、通路の段差を乗り越えることができませんが、私の想いは、人の心の段差を越えていきたい。いつかこの想いが誰かの心に届けば、壁や段差のない“心のバリアフリー”が実現できると信じています」

 後半は、ゲストと参加者が、会場で6グループ、オンラインで2グループにわかれ、話し合いが行われました。会場からは「障がいを示すマークが多様なのに驚きました。今日のイベントはこうしたことを知る貴重なきっかけになりました」、「障がい者に共通するのが移動手段の確保であることがわかりました」「視覚障がいがあるが、10のうち3でいいからサポートしてほしい」、「生産性第一と言われる社会では障がい者は苦しい立場にあると思います」、「佐藤さんの話は涙を誘いました」、「佐藤さんの努力に励まされました。障がいの有無の関係なく、人間はみな同じだと再確認しました」という感想、意見が出ました。オンラインでも、「長野県ではパーキングパーミット制度の普及促進があまり進んでいない気がします」、「佐藤さんの話は心にしみました。街で困っている人を見かけたら積極的に声をかけようと思います」などがありました。


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